リレー・フォー・ライフとは、1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、 アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。 マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、 友人たちは30分間だけ医師と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。 その結果、1日で2万7千$が集まりました。 参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。 24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
単なる資金集めのイベントとしてではなく、地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場として、 リレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、世界20ヶ国以上で行われるようになりました。 開催方法は様々だが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」(がんと闘う人たちの勇気を称え、 がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、 一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。 ほかにバンド演奏、ゲーム、バーベキューなど様々なイベントで盛り上がります。
神奈川県横浜市在住のがん患者三浦秀昭氏が、日本においてリレー・フォー・ライフを実現するため、 インターネット(ブログ)で呼びかけたことをきっかけに、数名の有志が共感し集まりました。 がん患者とその家族が抱える悩みや痛みを共有し、互いに希望や勇気を分かち合うこと、 さらに健康な人たちにも命の大切さを訴え、がんに対する社会の意識を変えていくことを目的とし、 2005年6月がん患者支援プロジェクト(CPSP)を結成しました。 がん患者支援プロジェクト(CPSP)は、日本版リレーフォーライフ実現を目標とし、定期的にミーティングを行いました。 2006年4月29日(土)リレー・フォー・ライフ開催に向け、プレイベント「リレー・フォー・ライフ日本版を考える会」を 神奈川県横浜市青葉公開堂で実施。 同年9月2日(土)、筑波大学陸上競技場(茨城県つくば市)で日本初となる「リレー・フォー・ライフ JAPAN 2006」を 開催しました。 その後、大阪府在住のがん患者遺族大隅憲治氏が、「関西でもリレー・フォー・ライフを!」と、 リレー・フォー・ライフ関西実行委員会を立ち上げました。 2007年9月15日(土)・16日(日)、兵庫県芦屋市で24時間日本初の「リレー・フォー・ライフ JAPAN 2007 in 芦屋」を 開催しました。 同年9月29日(土)・30日(日)、日本対がん協会が「リレー・フォー・ライフ JAPAN 2007 in 東京」を開催しました。 2008年、日本各地でリレー・フォー・ライフの実施が予定されています。 日本におけるリレー・フォー・ライフは、2006年茨城県つくば市で初めて開催され、 翌年の2007年に兵庫県芦屋市・東京都で継承されました。 そして2008年、全国へその輪が広がりつつあるのです。 |
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